八月十四日

主のいない部屋はガランとして、コロコロコミックとコミックボンボンが少しほこりをかぶっていた。プラモ狂四郎やとどろけ!一番の単行本が散乱してい る。棚に並んだログインを手に取ると、オールザットウルトラ科学とヤマログの部分が全て切り抜かれていた。見たところ5000枚以上あるCDやレコード は、アルファベット順にきちんと整理されていて、Nのところを見ると、また買ったのだろうか、棄てたはずニューファストオートマティックダフォディルズの CDが、ネッズアトミックダストビンとナイロンボンバーズに挟まれて並んでいた。机の上には、川崎君、ちろみ氏とともに金閣寺の前でポーズを決める能生の 写真があった。きっと修学旅行の時のものだろう。三人の真ん中で、ナイフに写るレモンみたいな笑顔を見せている(両脇二人のあくまで暗い顔とのコントラス トがそれをより際だたせている)写真の中の能生に、「宮本武蔵なんかちっとも偉くないよ」とつぶやいて、写真立てを倒した。と、ここまで書いてきたが実は 部屋に入ってきて最初にした事がある。僕は真っ先に、暖炉前飾の真ん中辺のすぐ下にある真鍮の小さなツマミから汚れた青いリボンでぶら下げてある、安物 の、見かけばかりのボール紙製の名刺差しに入っていた一通の手紙を手に取ったのである。そこにはこう認めてあった。

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きしゃさま
あたしは、八つです。
2ちゃんで、「大谷熊生なんていないんだ。」っていっている子がいます。
パパにきいてみたら、「オーバーロードのひとたちに、といあわせてごらん。オーバーロードで、大谷熊生がいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」と、いいました。
ですから、おねがいです。
おしえてください。大谷熊生って、ほんとうに、いるんでしょうか?

山内バージニア 大阪府大阪市関目
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この少女の疑問に対する歴史的回答が、オーバーロードエスプレッソ創刊号の巻頭に掲載され、世界中の読者の涙を誘った事は皆さんご承知の事と思う。お手元に無い方のため、以下に再掲する。

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バージニア、おこたえします。
大谷熊生なんていないんだという、2ちゃんのお友だちは、まちがっています。
きっと、その子の心には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、ニートこんじょうというものがしみこんでいるのでしょう。
2ちゃんねらーは、信頼出来るソースしか信じません。
うたぐりやは、心のせまい人たちです。
心がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。
それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。
けれども、人間が頭で考えられることなんて、おとなのばあいでも、子どものばあいでも、もともとたいそうかぎられているものなんですよ。
わたしたちのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙では、人間のちえは、一ぴきの虫のように、そう、それこそ、ありのように、ちいさいのです。
そのひろく、またふかい世界をおしはかるには、世の中のことすべてをりかいし、すべてをしることのできるような、大きな、ふかいちえがひつようなのです。

そうです。バージニア。
大谷熊生がいるというのは、けっしてうそではありません。
この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、熱燗があるのとおなじように、大谷熊生もたしかにいるのです。
あなたにも、わかっているでしょう。
世界にみちあふれているスピリッツやリキュールこそ、あなたのまいにちの生活を、うつくしく、たのしく、時にくるしくしているものなのだということを。
もしも大谷熊生がいなかったら、この世の中は、どんなにくらく、さびしいことでしょう!
あなたのようにかわいらしい子どものいない世界が、かんがえられないのとおなじように、大谷熊生のいない世界なんて、そうぞうもできません。
大谷熊生がいなければ、人生のくるしみをやわらげてくれる、子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスも、ぬる燗の徳利もなくなってしまうでしょうし、わたしたち人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえるもの、手でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう。
また、子どもじだいに世界にみちあふれている光も、きえてしまうことでしょう。

大谷熊生がいない、ですって!

大谷熊生が信じられないというのは、妖精が信じられないのとおなじです。
ためしに、クリスマス・イブに、ストリーム・ベースにたのんで小田さんをやとって、ソロモンじゅうのリックドムを作ってもらったらどうでしょうか?
ひょっとすると、コロニージェネレーションの反旗の趣旨が、わかるかもしれませんよ。
もちろん、コンスコンのおどろきもわかるかもしれません。
しかし、たとい、えんとつからおりてくる大谷熊生のすがたがみえないとしても、それがなんのしょうこになるのです?
大谷熊生をみた人は、いません。
けれども、それは、大谷熊生がいないというしょうめいにはならないのです。
この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも、おとなの目にも、みえないものなのですから。
バージニア、あなたは、大谷熊生がステージでおどっているのを、みたことがありますか?
もちろん、ないでしょう。
だからといって、大谷熊生なんて、ありもしないでたらめだなんてことにはなりません。

この世の中にあるみえないもの、みることができないものが、なにからなにまで、人があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだなどということは、けっしてないのです。
サキソフォンをぶんかいして、どうして音がでるのか、なかのしくみをしらべることはできます。
けれども、目にみえない世界をおおいかくしているまくは、どんな力のつよい人にも、いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことはできません。
ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスとアル添酒だけが、そのカーテンをいっときひきのけて、まくのむこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、みせてくれるのです。
そのようにうつくしく、かがやかしいもの、本醸造は、杜氏のつくったでたらめでしょうか?

いいえ、バージニア、それほどたしかな、それほどかわらないものは、この世には、ほかにないのですよ。

大谷熊生がいない、ですって?

とんでもない!うれしいことに、大谷熊生はちゃんといます。
それどころか、いつまでもしなないでしょう。(良かった!)
一千年のちまでも、百万年のちまでも、大谷熊生は、和モノ女子たちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。

オーバーロード編集部一同
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これにて「大谷能生の朝顔観察日記」は終了です。日記は新サイトに移行します。

https://www.ootany.com/

一年余にわたり、ご愛読ありがとうございましたー