八月十日

京都の川崎君の家に宿泊。東山文化と足利義政についてじっくりと語り合ってみました。

大:日本文化というのは、平安時代からスタートさせることが無論常識だけど、実際今の我々につながっている生活文化を中心に見てみると、起源はたいてい室町からなんだよね。
川:あたしは中世、あるいは室町時代でもとくに東山文化に相当の関心を持っているんだけど、けれども、その中心にいる足利義政(1436-90)という人には、いつも当惑させられてばかりなのです。
大:義政という人は、いま、われわれ生身の人間が想像できないような嗜好的な世界をもった人間らしいということは、ひょっとすると、そうかもしれないな。
川:義政については関心を持つ学者は多いみたいだけれど、おっしゃるように、くっきりした研究なり伝記なりをまとめた人はいませんね。
大:中村直勝さんが少しおやりになったね。
川:あと、評論家の唐木順三さんとか、辻善之助さんとかもおりますね。
大:しかし義政そのものを書いてるんじゃない。
川:そうね。それにしても、おおぜいの人が飢え死にしていることを知っていながら花の御所を建て直したりしているくせに、義政は一般民衆の救済のためにはわずかな金しか使わなかった。
大:しかし自分の遊びのためだったら、全然お金を惜しまなかった(笑)。
川:まったく(笑)。それにしても、いま銀閣寺はもちろん禅寺ですし、義政は禅宗を信じていたのだけど、それと同時に浄土宗の信仰もあったのよねぇ。
大:あと、迷信も信じていたようだね。
川:東求堂をみると、阿弥陀さんをまつってるわよね。禅で悟りを開いているなら、それは必要ないことだと思うのだけれど・・・。
大:そうだね。いかにも極楽へ行きたそうな、欲深げな義政を感じるエピソードだね(笑)。悟りを開いているなら、それはもちろん必要ないことだ。
川:ようするに気違いなのよ。