七月五日(水) 旧暦 6/10 乙未(木の弟) 夏至

朝から雨。紫陽花の色が水色から紫に変わってきている。終日居眠りと読書と曲作り。あ、いま思い出したが、この日までにやると約束した仕事を一つ忘れててやってない……。宅急便と浄水器の点検の人が来た。夕方松坂屋まで自転車で行って半額の寿司を買って帰って夕飯。

  • 紫陽花や白よりいでし浅みどり(水巴)
  • 臥処よりあぢさゐの藍空の藍(節子)
  • あぢさゐの下葉にすだく蛍をばよひらの数の添ふかとぞ見る(定家)

七月四日(火) 旧暦 6/9 甲午(木の兄) 夏至

再び中央図書館で武満全集。だんだんテーマが浮かんでくる。頭の中でいくつかの事柄を宙吊りにしながら、どんどん資料を確認してゆくこの感じは久しぶり。夕飯は昨日の残りの鰹をタタキにしてサラダを作り、チーズ多めでカルボナーラ風のパスタのあわせる。あと枝豆。

七月三日(月) 旧暦 6/8 癸巳(水の弟) 夏至

午前中から中央図書館に行き、武満徹全集をメモとりながら頭からずーっと聴いていた。館外貸出しがあれば便利なんだけどな。三時くらいに買い物をして家に戻り、細々とした仕事を片付ける。酸っぱいものと辛いものが食べたかったので、鯵と胡瓜と若布の三杯酢とマーボー豆腐を作る。あと鰹刺身、枝豆でビールと日本酒。枝豆の季節がはじまった。

  • わが宿のおくれ鰹も月夜哉(一茶)
  • 美しき緑走れり夏料理(立子)
  • 杉箸を染むるは何ぞ夏料理(普羅)

二〇〇六年七月一日(土) 旧暦 6/6 辛卯(金の弟) 夏至

s誌用の原稿を下書し、しばらく東大将棋で藤井システムの手順を研究。昼はトマト・ソースでパスタ。4時からSTスポットで観劇。普通にメール予約して行ったのに、制作側の計らいで招待席に座ることになり、さらにお土産にDVDとか頂いてマジ恐縮した。ホントただ単に楽しみに見に行っただけなんです……。その後、西口狸小路の「豚の昧珍」にてアタマ、シッポ、シタ、白菜、ピータンで飲む。うみゃい。帰宅し仮眠して夜はワールドカップをぼんやりと眺めながら原稿の整理など。

  • 汗垂れて彼の飲む焼酎豚の肝臓 (波郷)
  • 泡盛の香をこそめづれ小盃 (田士英)

六月三〇日(金) 旧暦 6/5 庚寅(金の兄) 夏至

s誌用の原稿を荒書し、夕方青山まで行ってにー書店のぐー君とs誌編集部に行って打ち合わせ。終了後、明大前キッドアイラックでコンサートを見る。ウチアゲは出口近くのカウンターに座を占め「もう帰ります」という意志を最初からアピールするも、結局ギリギリまで居残って終電を飛び移るように乗り継いで帰宅。帰宅方向が一緒であるtt氏と沢山話せて楽しかった。元町・中華街駅で降り、深夜1時に大の男二人で自転車ニケツで鎌倉街道をうひゃうひゃ言いながら爆走。途中コトブキ町を横切ったりしながらかなりいいペースで横浜を横断し、浦舟町あたりで降車頂く。おつかれさまでした。ちょうど電話があったのでとって返し今度はヨメを横浜橋に拾いに行ってから帰宅。就寝。

二〇〇六年六月二十九日(木) 旧暦 6/4 己丑(土の弟) 夏至

<一年限定:大谷能生の朝顔観察日記

(注意:朝顔は観察しません。すいません。)

この日で僕は三十四歳になったらしい。三十四歳というとチャーリー・パーカーとかアルバート・アイラーとか、色々な人がバタバタ自滅的な死を死んだ年齢で、キリストとジャコ・パストリアスとか、若い頃から自分のテーマが決まっていた人間がやりたいことをやりつくしてメートル振り切ったままバイバイするのが大体この辺りである。ドルフィーは36だっけか。彼の命日は確かこの六月二十九日だ。僕にはそういった夭折の恐れはないけど、ここ数ヶ月、気力知力体力ともに著しく衰えを感じていて、連絡ミスはするは不用意なメールで失礼を働くは、ちょっと飲みすぎた次の日は夕方まで動けないし、歯を磨くと歯ぐきから血が出る。自戒の念を中心に据えて、千葉君が作ってくれたこのスペースに、いい機会なので一年限定で日記を書いてみようと思う。実は僕はこれまで一度も日記を付けたことがなくて、ものぐさだし、夜はだいたい酒を飲んでるから文章なんて書けないし、でも気まぐれでちょっと日記をやってみることにした。日記を創作の為のメモと考えると色々なトレーニングが出来るような気がする。備忘録というよりも記憶の技法の一種として短文を一年続けてみたい。すぐやめるかもしれないけど。イカスミとウニのパスタを作って、元町UINONで買った白身魚のフライで赤白ワインを飲んだ。