七月二十八日

朝六時起床。「新音楽の哲学」の新訳を、音友の渡辺訳とつきあわせながら読むうち面倒になってきて、Tuebingen版とSuhrkamp版をひっぱり出して音読しているうちに午後になり、すっかり独語モードになった頭で関内のクラフトビアバーに向かう。
着くとすでにちろみ君がベアードのクールブリーズピルスをぐびぐびとやっている。今日は日電音の川崎氏が所用でこちらに来るので、横浜案内かたがた新居で飲みましょうという事になったのだが、こういう集まりの場合彼は必ずと言っていいほど顔を出してくるのだ。
「よく店の場所がわかりましたね」
僕は半ばあきれ顔でそう言ってから、同じくベアードのIPAを、嫁はいきなり「今週のシングルモルト」(タリバーディン10年)のソーダ割りを注文。オーダーの妙とはこういう事を言うのかも知れない。
ちろみ君が二杯目、常陸野ネストのホワイトエールを一口含んでから言った。
「朝顔を観察してみませんか」
一瞬、言葉に詰まる。僕、朝顔観察日記などと称しながら、まるっきり観察などしていない。観察どころか、種を蒔いてもいない。その事を気に病んでいない といえば嘘になる。それが証拠に、どこかの軒先の桟にからまるちょっとした蔓なんかにどきりとさせられる事がある。鼓動が早まる。ベアードのIPAが事の 他苦く感ぜられる。目の前が暗くなる。脳内で細かな独語が群れている。それがバラバラになり、何かを形づくろうとしている。おぼろげに輪郭があらわれる。 どういうわけか、それがビグザムのように見えてくる。…確かにビグザムだ。それにしてもなぜ。嗚呼、機動ビグ・ザム!そこへちろみ君がたたみかけるように 言う。
「これからは朝顔の時代です」
うまい事を言う。確かにそうかも知れない。朝顔の季節です、ではなく、朝顔の時代です、という所に迫力がある。一種の真実味がある。朝顔に対する真摯な思いがある。
「品種はもちろん団十郎です。黄蝉葉栗皮茶大輪です。バッチリです!」
なんて事を言う。後から考えてみると、何がバッチリなのか全くわからない。全くわからないが、混乱したまま、うなずこうとしたその時、わき腹を嫁に肘で突かれ我にかえった。
「いや、やはりやめておきます。…つるべ取られて、なんて事になると元も子ないですから」
その後は二人、曖昧な微笑の応酬となった。嫁はそしらぬ顔で「バジルならいいんですけどね」なんか言っている。
そして、予定を大幅に遅れて、川崎氏が店にあらわれたのである。やや憔悴したような表情で席に着くと、やおらシャツを脱ぎタンクトップ一枚になり、メニューを仔細に見当した後、決然とそのオーダーを放った。そしてそのオーダーは、我々三人を驚かせるに充分なものであった。
「Ich moechte bestellen. Ich nehme das. Uerige Alt, bitte!」
独語モードになった頭で聞き間違えたのではなく、たしかに川崎君はこう注文したのである。まさかここにあるはずはないと思いきや、アムステルダムの Bierkoningから仕入れてきたとのこと。小ぶりのグラスでご相伴にあずかり、Gerstenmalz、Caramelmarz、Rostmalz の絶妙なバランスを堪能するも川崎氏は一言「酸味が出ていますね」と言い放ったきりノルトライン・ヴェストファーレンの至高に手を出そうとしない。
大物電子音楽士に面会したところ、完膚なきまでに叩きのめされたことが憔悴の原因だそうで、下手に話を聞いて、次回の対局で私に協力を求めてこられるようなことがあったら迷惑至極。注意深く言葉を選んで、満足に生きられずに死んだひとたちの話題へと誘導。
案の定、ちろみ君と川崎氏は、偉そうな顔しやがって、を連発。単純なものだね。
その後、箕面のリアルペールエール、サンクトガーレンのアンバー、富士桜のラオホ、ネストのホワイト、スワンレイクのゴールデン、いわて蔵のリアルエール IPAを飲む。1パイントとはどのぐらいの量なのか何度聞いても分からない。いつも嫁に三合くらいと教えてもらってようやく量として実感できるのである。 つまりこの時点でビールを二升強飲んだことになる。
モツ焼キ屋へ移動。他の三人は生ビールなんてものを注文している。とうぜん私はモツ焼キのときはホッピーと決めているわけで、酎とホッピーの割合は酎3対ホッピー1くらいがちょうど良い。読者諸兄も是非試していただきたい。
さてそのモツ焼キ屋であるが、広さは学校の教室の半分ぐらいであって、妙に天井が低い。ガレージか何かを改装したようでもあり、厨房の奥は特に仕切りも なく外に続いているように見える。どういう作りになっているのか皆目わからないが、肉が旨いのは確かである。その上お勘定の方もリーズナブルであって、お カミさんの対応も気持ちがいい。そして何より、ホッピーがあるというのがいい。ホッピーの無いモツ焼キ屋を僕は認めない。酎とホッピーを延々と飲んでいく と、最後には酎の方が先に底をつくというような店がいい。この店にはそういう匂いがある。ホッピーだけは切らさないぞという気概がありありと感ぜられる。 要するに僕の唇が火傷をしないのはホッピーのおかげであると言ってもいいし、そしてそれはまったく不思議ではないのだ。
基本的に立ち飲みの店であり、縦長のテーブルにめいめいが勝手に陣取って飲むというスタイルの都合上、いわゆる相席になるという事もしばしばであって、 この日もそうであった。我々の左隣に五十がらみの二人の男女がやって来、やがてツマミの交換がはじまった。男は「成田闘争で六年くらった」と、赤ら顔で上 機嫌に言った。僕としてはこういう相客は大歓迎であって、しばし当時の話(無論僕の場合は本で知ったのだが)で盛り上がる。若いのにどうしてそんな事知っ てるの、とますます上機嫌。川崎、ちろみの両氏はうつむいてちびちびとビールを飲みながらガツ刺かなんかつまんでいる。そうして例のごとく二人でひそひそ と囁きあいながらニヤニヤしている。成田闘争って何でしたっけ、多分あれ、戦国時代かなんかの合戦の一つじゃないかな、あぁ、薬子の変みたいな、いやそれ は平安時代じゃなかったっけ…。と、相客の女の方がちろみ君に向かって、
「あんた、いま笑ったでしょ!」
一瞬静まりかえる一座。ちろみ君、モツを口に運ぶ手がとまる。彼はお得意の曖昧な微苦笑を浮かべ、「えぇ、まぁ」。このまま放っておいて様子をみようか とも思ったが、武士の情け、注意深く言葉を選んで、もう一度、満足に生きられずに死んだひとたちの話題へと誘導する。退屈したのか、女はトイレに席を立っ た(立ち飲みで席を立ったとはこれいかに)。すると男の方が、
「彼女、知的障害者なんだ。作業所で知り合ってね。でも、見えないでしょう」
「夫婦じゃないよ。奥さんは別にいる。六年くらっている間もずっと待っててくれたんだ。いい女だよ」
続けてなんの脈絡も無く、
「それでね、俺、解放同盟なんだ、うん。すぐそこに事務所があるけどね」
立ち飲みで隣り合っただけの酔客にがんがん切り込んでくる。受けて立つ、という類の事ではないけれど、スルーして適当にというのも仁じゃない。何といっ たって、僕はシンパなのだから。21世紀最初の無頼派なのだから。久々にあらわれた酒の香りのする音楽評論家なのだから。そして何より、楽に死ぬよりも苦 しんで偉くなる方を選んだ、ソルトピーナッツの元常連なのだから!
そして売買春の是非について激論をかわす。松沢呉一ファンの川崎氏も参加するも、相手に分からないだろうと思ってかすべて松沢の受け売り。失笑。四合瓶 の焼酎を八本ほど空にする。これは三升強であるということは自分の酩酊状態と一致して理解できるのである。新居にちろみ君と川崎氏をご招待。朝まで六時間 にわたり三人でセッション。嫁はローリングでセッションに参加。最後の数分感をアップロードしておきます。
http://mcem.hp.infoseek.co.jp/ootanichiromikawasaki.mp3
明け方、始発で帰るという川崎君を近所までお見送りするも長時間の飲酒で意識朦朧。
「久々の横浜飲みでしたのに、なんだかグダグダで…。すみませんでした」
「いいえ。私は、楽しい思いをしたと思います」
川崎君はそう言うと、肩にかついだ大きなラジカセでポップウィルイートイットセルフを大きく響かせながら、朝焼けの中を歩み去っていったのです。