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八月四日(金)

ひと月半くらい作業してた武満原稿もラスト・スパート。何時ものように紙幅が足りなくなるが、とりあえず一回送信してみる。テーマは面白いと思うんだけど。夜はクイーンズスクエアの中にあるというビアガーデンに行く。なかなかヨロシイが、やっぱ氷川丸とか山手ガーデンの方が性にあってるな。

八月三日(木)

朝起きてコラムを清書して送信。本日はwoolsライブなのだが、出番最後で逆リハ(セッティングをスムースにするために、最後に出るバンドが最初に音チェックするという慣習がライブ・ハウスにはあるのですよ)ってことで、2時に会場集合。ステージが狭くて大所帯&機材多いこのバンドでは大変だった。なんとかチェック後、空き時間を利用して渋谷で打ち合わせ。いろいろと面白くなりそうですが、9月10月大変だ……。8時から演奏。セッティングをソウル・バンド向きの派手目のものにしてみたのだが、やっぱちょっと僕にはあわないような気がする。早めに帰宅。

八月二日(水)

昼は原稿。20~23時、ムネカタバンドwoolsリハ。恵比寿のシュガーソウル・スタジオ。ここは広くていいですね。休憩中に、丁度やってたボクシング試合をスタジオの通路みたいなところで、違うバンドの人とかとも一緒に街頭TVのような感じで観戦。そこだ、空手チョップだ! とか言う。帰ったあと、調子が出て来たのでy誌のコラムをさーっと下書き。

八月一日(火)

昨日、話の成り行きでオーディオ・コメンタリーの音編集も担当することになり、mp3をファイルで受け取って画面を見ながら作業。VHSみながらiBookで編集、という状態だったので、細かいところで音と画面があわなくて、意外と苦労した。結局あんまりEDITしなかったが、結構面白いかも。
六本木ABCの選書フェア用に書いたコメントを載せておきます。八月八日まで?

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[猛暑を乗り切る批評と音楽」

自分の家の書棚にあるものの中から、出来るだけ違った対象について、出来るだけ違った書き方で書かれているものを探して、五〇冊ほど選んでみました。とはいってもやっぱり偏りはあります。カタログや紹介本、解説本の類ではなく、「批評」として立派な仕事をしている古典ばかりなので(自著はともかく!)、二、三冊適当に選んで併読して頂けると、この夏一杯くらいは充分に楽しめると思います。

○高橋悠治「高橋悠治コレクション1970年代」
○高橋悠治「音の静寂静寂の音」

・高橋悠治の著作は、どの本でも見つけたら無条件に手に入れておくのがいい。古本屋以外で簡単に手に入るのは今はこの二冊くらいですか。モノを考えながらモノを作り続けるために必要なスタンスとは。

○小林秀雄「モオツアルト」

・その悠治さんにケチョンケチョンに言われている文芸批評家による音楽批評の代表。これも一緒に読んでおきましょう。素晴らしくロマンチックな、だからこそ影響力をいまでも発揮しそうな文章で、ロック/ポップス批評の一典型として読むと面白い。

○小杉武久「音楽のピクニック」

・絶版かな? 見えない波と渦を操る、日本を代表する即興演奏家、作曲家、パフォーマー、コンセプト・メーカーである小杉武久の作品をもっと見る/聴く機会を得るために挙げておきます。「作曲とは曲がったものを作ること」

○細川修平「レコードの美学」

・「レコードによる音楽体験はそもそも可能か?」という、物凄く基本的な、だからこそ最も射程距離の長い設問から始めているところが素晴らしい。

○小泉文夫「日本の音 世界のなかの日本音楽」

・「小泉文夫さんの本の魅力は何といってもその静かな語り口にあると思う。早急な断言を避け、対象の持つ拡がりをゆっくりと辿りながらさまざまな方向に嶺をひらいてゆくその文章は、なだらかにつづく高原のように美しく、健康的だ。その高原には人間の腰骨で作られた骨笛が鳴っていたり、神楽が舞われ、月琴が静かに響いていたりする。」(以前レヴュー用に書いた文章を転載)

○武満徹+川田順造「音・ことば・人間」

・蓮實重彦いわく、現代の名文家三人のうち二人の手紙のやりとりを収めた往復書簡集(ちなみにあとの一人は山田宏一だそうだ)。無文字社会における音楽のあり方に対する二人の反応の違いが面白い。

○松平頼暁「現代音楽のパサージュ 20・5世紀の音楽」

・すっきりとまとめられた、二〇世紀現代クラシック音楽の見取り図。手元に置いておくと色々なタイミングで参考になります。

○ジョン・ケージ 「サイレンス」
○ジョン・ケージ/ダニエル・シャルル 「小鳥たちのために」

・イメージだけですっかりわかった気になってしまうケージだけど、一度は実際に自分でテクストを読んでみたり、コンサートに行ったりしてみよう。

○ジャクリーヌ・コー 「リュック・フェラーリとほとんどなにもない」

・来日公演を見ることが出来たのは幸運なことだったと思う。ケージと違って、自分が開いたスペースを自分で埋めてしまうことなく、色々な扉を開けっ放しにしたままどんどん適当に異なった作品を作り続けたフランスの作曲家、リュック・フェラーリ。こんなにデタラメで、エロティックで、エスプリの効いたクラシック作曲家は他にはいない。

○若尾裕「奏でることの力」

・やわらかく、コンパクトに、ケージやポーリン・オリヴェロス、マリー・シェーファーといった人たちの切り開いた領域の可能性をさまざまに語ってくれる本。とりあえず立ち読みでもいいから、第二章「この世で最後に聴く音楽」と第三章の「カウ
ンセリングとしての即興音楽」に目を通してみて欲しい。

○ジャン=ジャック・ナティエ「音楽記号学」

・音楽を現代思想的に学問することに関して、まあ、これだけやってもらえばさすがに読み応えがあります。

○ピエール・ブーレーズ「ブーレーズは語る」

・作曲家にして指揮者。ということは神であり法皇であるということで、やはりヨーロッパ最強の知識人の一人。彼の意見に納得する必要はないけど、一度読んでおくと欧米人の発想の根本が判るような気がして、色眼鏡の数が増えていいと思う。

○秋山邦晴「エリック・サティ覚え書」

・サティに関してはこれ一冊でいいでしょう。硬軟とりまぜて綴られた豊かなエッセイ集。シュルレアリスト周辺の資料にも目端が利いていて勉強になります。

○ザ・ワイアー「めかくしジュークボックス」

・いろんな人がいろんな音楽を聞いて、思いつきでいろんなことを言っている本。適当な発言をするための手段としてレコードを使うこと。

○デレク・ベイリー「インプロヴィゼイション」

・即興で演奏している、というだけでオルタナティヴを感じさせてくれた時代も20世紀には確かにあった。いまはどうか? 即興演奏に関する基本文献の一つ。

○野田努「ブラック・マシン・ミュージック」

・ディスコと宇宙、テクノとアフロ、ゲットーとラボを結ぶ想像力とは。「アンダーグラウンド・レジスタンス」というムーヴメントに日本からバチッと共感の火花を飛ばして書き上げたアジ文書にして古典的大著。必読。

○佐々木敦「ex-music」
○佐々木敦「テクノイズ・マテリアリズム」

・まずは「ex-music」のカヴァーに配された「レコード・タワー」を見て、その迫力を感じ取って見て欲しい。こんだけ積むと無茶苦茶重いぞ。こういった物量が高速で渦巻く現場にあって、原理と実際を往復しながら批評を続けていくことの困難さを、佐々木さんは誰よりも理解して、そして楽しんでいる。「テクノイズ」の方では大谷が参考資料とか作ってます。

○秋田昌美「ノイズ・ウォー」

・もしあなたにとってこの本が読み難いものだとするならば、それれは本の中に現れている単語があなたにとって馴染みのないものだから、ということだけではなく、本の中に現れている欲望のかたちが、あなたの持っている、思っているそれと著しくかけ離れているからだろう。何かが分からない、というのは、それが目指している目標に同意できないということだ。何度読んでも読み応えがある、メルツバウ秋田昌美の強力な著作。

○田中康夫「ぼくだけの東京ドライブ」
○浅田彰「ヘルメスの音楽」
○近田春夫「定本・気分は歌謡曲」

・内容も文体も、想定している読者も丸っきり違うんだけど、もの凄い「同時代性」を何故か感じてしまう本として、このそれぞれに偏った個性的な三冊を一緒に読むといいと思う。

○フランク・ザッパ+ピーター・オチオグロッソ「フランク・ザッパ自伝」
○マイルス・デイヴィス+クインシー・トゥループ「マイルス・デイビス自叙伝」

・アメリカが生んだ二人の偉大なる独立主義者、ミュージック・ボスの自伝を並べて。この二人の目を通して描写された時代、風俗、音楽のディティールには抜群のリアリティーがある。自伝好きにはついでに「マルコムX自伝」も。

○ロバート・ライズナー「チャーリー・パーカーの伝説」
○デューク・エリントン「A列車でいこう-エリントン自伝」

・ついでに伝記をあと二冊! 「チャーリー・パーカーの伝説」は、生前のパーカーと親しかったいろんな人たちに取材したエピソード集。人それぞれ語ることが違っていて、パーカーの多面性、というよりも単純なデタラメ具合が眩し過ぎる。エリントンの自叙伝は優雅だなあ。アイスクリームにまつわるエピソードが好きです。

○チャールズ・カイル「アーバン・ブルース」

・ファンク以前の黒人大衆音楽についてはこの本で。

○村尾陸男「ティ・フォー・トゥー物語」

・偉業「ジャズ詩大全」シリーズ完結間近!?の著者による、二〇世紀初頭のアメリカン・ポップスについての小粋な本。後半はコード・プログレッションについての専門的な分析に入っていきますが(音源あり)、各時代のピアニストの思考を辿るいい企画だと思いました。

○柳澤愼一「明治大正スクラッチノイズ」

・「明治・大正」ということで、明治元年(1868年)から時系列的に、時にはジャンプを繰り返しながらツレヅレなるままに語られてゆくノイズだらけの音楽史。これは面白い!

○油井正一「ジャズの歴史物語」

・色々と読んでみたけれど、この人の本が日本語で読めるジャズ批評の本では一番しっかりしていて、細かいところまで目配りが効いていて、読んでいて勉強になる。ジャズが敵性音楽だった時代から聴き続けてフリーまで来た人には気骨があるなあ。

○植草甚一「植草甚一ジャズエッセイ大全1 モダンジャズの勉強をしよう」

・内容よりもその文体で何度でも読ませてしまう植草スタイルの批評。この本じゃなくても何でもいいから、手に取り易い一冊からとりあえず読んでみて欲しい。江戸から続く、都市遊民の諦観と冷狂。「ぼくはもう東京の昔を思い出すことはやめる」。

○片岡義男「音楽を聴く」

・同じく、超クールな都市民の、戦後のポピュラー・ミュージックに関して聴きながら、書きながら、思考と想像力を伸ばしていったエッセイを。スウィング・ジャズ~ムード・ミュージックという流れにある音楽について、これほど哀切に、しかも美しくその魅力を語った本はないと思う。

○山下洋輔「新編 風雲ジャズ帖」
○山下洋輔「ドバラダ門」

・ジャズを好きになりかかっている若者の方々! とーにかく何も言わずに山下洋輔さんのエッセイを読んでみてくださいな。古本で新潮文庫の「ピアニストを笑え!」、「ピアニストを二度笑え!」などの初期単行本を探すのが一番いいと思うけど、ここに並んでいるものをまずとっかかりにしてください。菊地さんも僕もこっからジャズの熱狂を教えられたんだから。

○平井玄「破壊的音楽」

・と、同時に、こうした本もジャズ好きな若者にはさりげなく薦めておきたい。こういった方角に伸びていくラインも音楽にはあるのだよ。ここに現れているミュージシャンの名前をチェックするだけでも、一夏のいい仕事になるでしょう。

○清水俊彦「ジャズ・オルタナティヴ」
○副島輝人「日本フリージャズ史」

・同じく、ながらく日本のジャズ界の現場に立ち会って批評を続けてきた二氏の著作を。批評とは他人の心の中に燃えている炎を自身の芯に移して灯し、それをさらに多くの人に点火してゆく作業である。彼ら二人の胸には、ミュージシャンと同じ色の炎が燃えている。

○斎藤憐 「昭和のバンスキングたち」
○瀬川昌久「ジャズで踊って」
○色川武大「唄えば天国ジャズソング 命から二番目に大事な歌」
○植田紗加栄「そして、風が走りぬけて行った」

・日本における洋楽ポップス~ジャズの受容に関わった人たちは、みんな個性的なエピソードを持っていて、本を読んでいてまったく厭きない。ポップスとしてのジャズについて、その歴史をもっとシリアスに受け止める必要がある。

○平岡正明「ジャズ宣言」
○平岡正明「チャーリー・パーカーの芸術」
○平岡正明「平民芸術」

・一九七〇年代以降のすべてのジャンルの批評家の中で、質量共に最大かつ最重要の仕事を残しているのは平岡正明である。彼の仕事の中で最も濃いものを三冊挙げておく。なんとか噛り付いてみて欲しい。

○菊地成孔+大谷能生「憂鬱と官能を教えた学校」
○菊地成孔+大谷能生「東京大学のアルバート・アイラー」歴史編・キーワード編
○川崎弘二+大谷能生「日本の電子音楽」

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(雑誌・ムック本)

○KAWADE夢ムック・大瀧詠一

・最近ではこのムック本が大充実の内容ですね。面白かった~。

○Improvised Music From Japan 2001~2005

・日本の現在の「即興演奏」を中心にした音楽シーンの全体像が、断片を通して見えてくる得難い年間本。CD付き。

○ロック・クロニクルvol1~3

・カタログ中心の内容でも、がっちり気合を入れて丁寧に仕上げると「批評」としても有効になるといういい見本みたいなシリーズ。ロックに関してはこの本だけで大体用事がすむ。インタビューも面白い。

○Espresso 9-11
○nu1,2

七月三一日(月)

ぼんやり起床。夕方、六本木ABCに寄って、ようやっと大谷能生選書「猛暑を乗り切る音楽と批評」コーナーを確認する。「日本の電子音楽」が並んでいるかをチェック。棚を一段使ってどーんと置いてありました! 献本用に5冊自費で購入。あとエスプレッソの清算とか。二冊くらい売れてた。その後、恵比寿に移動して、紀伊国屋書店ビルにて、冨永昌敬カントクと、本谷有希子さんと三人で富永監督の新作DVD「シャーリー・テンプル・ジャポン part1&2 」付録のオーディオ・コメンタリー収録。本谷さんとは初対面だったんだけど、あんま緊張しないで一杯喋れたので良かったです。すごい可愛らしい方で、えーと、貪欲なところと恬淡なところ、繊細さとタフさ、計算高さと素朴さが点滅的にあらわれて面白かった。リキッドの二階にあるタワーカフェで打ち上げ。だらだらいろんな話をしました。終電で帰宅。

七月三〇日(日)

朝一のバスで新宿に戻り、山手線で渋谷に。一週間ほどオーヴァーホールに出していたサックスを受け取ろうと楽器屋に寄るが、ここで若干のトラブル。時間がないので取り合えず一旦UPLINKに向かい、批評サミットに出席。自分の話はともかく、どの方も明晰で、つまらない話題はひとつもなかった。まあ、俺が一番軽薄で適当だということは良く判った。座談会中に退出してしまってすいません。今度またゆっくりお話聞かせてください。集合時間を30分遅刻して明大前着、すぐにリハーサルに入る。音を出した瞬間に、あ、まずいなこれは。と思って焦る。他の二人がノーブルな音色で綺麗に混ざっている中、一人だけトーンと音量が違って、どう聴いてもアンサンブルから浮いてしまっている。セルマーのマウス・ピースを持ってきておけばよかったと後悔するも後の祭り。トクナガ君からラヴォーズの柔らかめリードを借りて、アンブシェアを工夫してなんとか曲にあう奏法を工夫しながらリハ終了。久しぶりに超緊張しながら本番。演奏中18分ぐらいのところで数字認識にゲシュタルト崩壊が起こりかかり、一瞬、このまま発狂したら面白いだろうなとも思うが何とか踏みとどまる。意味から遠く離れた音をひとりで支え続けなければならない杉本曲の難しさよ。終ったあとは楽屋でしばらく倒れてました。復活して打ち上げ。キッドアイラックでの打ち上げは本当に楽しい。いろいろあって疲れたが、逆に気力はチャージされた気がする。帰宅後、三日分の連絡を処理して就寝。

七月二十八日(金)~二十九日(土)

 開店が比較的みな遅い横浜橋商店街の魚屋を叩き起こす勢いで食材を買いあさり、トロ箱に詰めて高速バスに乗って、終ってない仕事をすべて置き去りにして山中湖に向かう。湖畔のk氏別荘にてモルト合宿2006開催。今回のモルト合宿は、日電音無事出版ホントーにおめでとう打ち上げ合宿であり、枝豆合宿であり、炭火の実力再発見合宿であり、小市民的倫理観によるもっともらしい物言いに疑問を呈する合宿であり、一瞬訪れては消える古今東西合宿であり、ブラバンの居残り練習を陰から見守る合宿であり、麺合宿であった。詳しくは書かない。

「日本の電子音楽」 (著:川崎弘二 協力:大谷能生) 愛育社
白金の庭園美術館で会った黛敏郎は、カラスの群れにおびえてた。
代官山のショットバーで、ヘルベルト・アイメルトは、熊を一匹残して姿を消した。
大森キネカで会った武満徹は、泪橋が見たいと言った。
代々木上原の回教寺院を眺めながら、柴田南雄は、四歳の頃の話をした。
赤坂の韓国料理店で、松下真一は夢みるように、鯨のことを話はじめる。
自由が丘で会った秋山邦晴は、ベーコンをカリカリに焼くのがうまい。
谷中の墓地裏の坂道で、ホイヴェルツは、「岡倉天心てだぁれ?」ときいた。
麻布十番のたい焼き屋で、小杉武久は、「ここん家の娘になりたい」とつぶやいた。
池袋演芸場で、クセナキスは、誰も笑っていない噺にプッと吹き出した。
恵比寿の「ビヤステーション」で、大野松雄は、ブルートレインの座席にもたれて涙ぐむ。
隅田川の水上バスに揺られながら、芥川也寸志は、高校時代の話をした。
東京タワーの展望台で、湯浅譲二は、「高いところにのぼると興奮するわ」と言う。
不忍池でハスの葉を眺めながら、諸井誠は、クスクス笑い出した。
下北沢の「ザ・スズナリ」で、シュトックハウゼンは、甘酸っぱい気分を残して消えた。
神楽坂の居酒屋で、一柳慧は、「小さな声で話しましょう」と言った。
南青山五丁目の「フランセ」で、近藤譲は、雑巾を縫った話をした。
神田須田町のアンコウ鍋屋で、松平頼暁は、ひどくまじめになった。
四谷の土手を歩きながら、シェーンベルクは、「夕焼けがきれいね」と言った。
歌舞伎座の三階席で、瀧口修造は、熱心に小さな手帳にメモを書いた。
京成立石のキャバレーの暗闇で、水野修孝は、関西ナマリで囁いた。
駒込の六義園で、篠原真は、「ここに来たのは、二度目よ」と言った。
紀尾井町の坂道をのぼりながら、ウェーベルンは、ダルそうに微笑んだ。
新宿御苑の大温室の中で、高橋悠治は、しきりに熱帯睡蓮の花を探した。
六本木飯倉で会った塩見千枝子は、「戦前の歌謡曲に凝ってるの」と言う。
西麻布の交差点をわたってくる大谷能生は、大きめのコートがよく似合う。
アークヒルズのベトナム料理店で、前田憲芳は、死んだ犬の話をした。
上落合の月デ編集部で、川崎青年は、「正弦波でコンプレックスな音を作るには、限界があったようで…」と言った。
そうして、目を閉じると、深夜に武満君や湯浅君、秋山君や鈴木君なんかが集まってきて、『ジル、ドミニーク、ドミニク、ジール……』と歌いながら、みんな輪になって朱儒のような奇怪な踊りをつづけたりしている…。

戦後日本音楽界、電子無理矢理、100%。